コラム ・
「気をつかわない相手」は、本当に気をつかっていないのか
一緒にいて楽な相手のことを、人は「気をつかわない相手」と呼びます。でも実際には、何も払っていないわけではありません。誰が何を払っているのかという話。
一緒にいて疲れない相手のことを、人は「気をつかわなくていい相手」と言います。褒め言葉として使われますし、実感としても正しい。
ただ、本当に何も払っていないのかというと、そこは少し違うと思います。
払っていないのではなく、項目が少ない
人と一緒にいるとき、裏側では常にいくつかの作業が走っています。
- 相手の機嫌を推測する
- 言っていい言葉かどうかを選ぶ
- 沈黙が続いたら埋める
楽な相手といるときは、この3つが動いていません。機嫌が態度に出るので推測が要らず、多少雑に言っても壊れないので選ばなくていい、黙っていても気まずくならないので埋めなくていい。
気をつかっていないのではなく、つかうべき項目が発生していない。これが「楽」の正体です。
楽さの中身は、予測が当たること
この3つに共通しているのは、相手の出方が読めているかどうかです。
次に何を言い出すか見当がつく相手には、身構える必要がありません。逆に読めない相手といると、外れる可能性に備えて常に少し余力を残すことになります。一緒にいた時間が同じでも、消耗の量がまるで違うのはこのためです。
だから「楽な相手」は「好きな相手」とイコールではありません。好きだけれど疲れる相手も、そこまで思い入れは無いけれど楽な相手も、普通に存在します。
片方だけが楽になっている場合がある
ここが本題です。楽さは、両方に同時に起きているとはかぎりません。
片方が合わせていると、もう片方は何も払わずに済みます。合わせている側が上手であるほど、合わせられている側は「この人には気をつかわなくていい」と感じます。払われていることに気づけないのは、うまく払われているからです。
見分ける手がかりはいくつかあります。
- 沈黙が続いたとき、先に口を開くのがいつも同じ人ではないか
- 店や日時を決めているのが、いつも同じ人ではないか
- 相手の近況は言えるのに、自分の近況を相手が知らない(またはその逆)
どれも一度では判断できませんが、何度も同じ側に寄っているなら、楽さの費用をどちらかが持っています。
この種の関係の弱点
気をつかわない関係には、はっきりした弱点があります。雑にしても壊れないので、雑さの上限が試されないことです。
普通の関係では、失礼が一定を超えると相手の態度に出ます。そこで止まる。ところが壊れない関係では、その反応が返ってきません。返ってこないので、こちらは限度を知らないまま少しずつ雑になっていきます。
そして限界が来たときには、たいてい遅い。相手は長いあいだ言わずに済ませていて、こちらは何も気づいていないので、突然に見えます。
楽さは、才能ではなく誰かの負担
結論として言えるのは、居心地の良い関係は自然発生しない、ということだと思います。
読みやすい相手であることも、沈黙を平気でいられることも、雑に扱われても崩れないことも、全部その人の性質か、あるいは意識的な仕事です。楽な関係は、誰かがそれを楽にしています。
だから「気をつかわなくていい相手」に対しては、たまに逆をやってみるくらいでちょうどいいと思っています。こちらから予定を決める、こちらから近況を聞く。楽さの費用を、たまには持つ側に回る。
いちばん壊れにくいと思っている関係が、いちばん点検されていない関係でもあります。