コラム ・
頼る側と頼られる側 —— 関係の役割が固定されるとき
同じ人でも、ある相手の前ではしっかりして、別の相手の前ではだらしなくなる。役割は性格ではなく、関係ごとに決まって、そして固定されます。
同じ人が、ある相手の前ではやたらしっかりして、別の相手の前ではだらしない。よくあることです。
これは二面性でも使い分けでもなく、関係ごとに役割が違うだけです。そして役割は、思っているよりずっと早く決まって、そのあとほとんど動きません。
役割は最初の数回で決まる
知り合ってすぐの時期に、どちらかが先に動きます。困っていそうだから声をかける、分からなそうだから説明する、決まらないから決める。
それを何度か繰り返すと、その関係の中での立ち位置が確定します。先に動いたほうが「頼られる側」、受け取ったほうが「頼る側」。以降、意識的に崩さないかぎり、この配置は続きます。
相手が年上だから、立場が上だから、という話ではありません。年下の後輩に対して全面的に頼っている人は普通にいます。決まるのは属性ではなく、その関係の中でどちらが体重を預けているかです。
固定されるのは、悪いことではない
役割が固まると、毎回それを決め直さなくて済みます。誰が決めるか、誰が謝るか、誰が場をつなぐか。これを都度交渉していたら、関係の維持に体力を使い果たします。
もうひとつ、見落とされやすい効果があります。頼れる相手がいることの効き目は、実際に頼った回数では測れません。
いざとなればあの人がいる、と知っているだけで、人は普段からリスクを取れるようになります。転職する、引っ越す、思い切って断る。実際には一度も頼らなかったとしても、その選択の裏側にはその人がいます。使わなかった保険が無駄だった、とは言えないのと同じです。
固定されることの副作用
頼られる側は、弱音の出し先を失う
「あの人は大丈夫」と思われている人は、大丈夫じゃなくなったときに言う先がありません。役割から外れる発言は、相手を驚かせてしまうからです。
そして本人も、途中から自分がその役だと信じ始めます。相談するのが下手なのではなく、相談する側に立った経験が、その関係の中に一度もないだけです。
頼る側は、感謝のタイミングを失う
助けてもらうことが常態になると、いちいちお礼を言うのが不自然になってきます。毎回言うのも大げさだし、まとめて言うのも今さらな気がする。
その結果、いちばん世話になっている相手にだけ、お礼を言っていない状態ができあがります。感謝が足りないのではなく、言う機会が構造的に消えているのです。
「対等じゃない関係はよくない」は、たぶん違う
非対称であること自体を問題視すると、ほとんどの関係が失格になります。両方向に均等な関係のほうが、実際には珍しいからです。
大事なのは、ひとつの関係の中で均衡を取ることではありません。別の関係で逆の役割を持っているかどうかです。
職場でずっと頼られている人が、古い友人の前では全面的に頼っている。それで釣り合いは取れています。まずいのは、全部の関係で同じ側に立っているときです。全部で頼られている人には出し先がなく、全部で頼っている人には自分の力の実感が残りません。
役割を動かしたいときは、小さく1回
いきなり大きく崩そうとすると、たいてい失敗します。長年頼られてきた人が突然重い相談をすると、相手が受け止めきれず、二人とも気まずくなる。
やるなら、重さのないことを1つだけ逆にするのが現実的です。
- いつも頼られている側なら、どうでもいいことを1つ頼む。店を選んでもらう、この2つどっちがいいか聞く。それだけで、その関係に「頼っていい」という前例が1つできます
- いつも頼っている側なら、相手が困る前に何か1つ渡す。相談されてから動くのではなく、先に動く。順番を逆にするだけで役割が少し揺れます
一度で入れ替わることはありません。ただ、固定されたものが動く余地がある、と両方が知っているだけで、関係はかなり楽になります。
いま思い浮かんだ相手に対して自分がどちら側なのかは、自分では答えにくい種類の問いです。「頼りにしている」と思っていても、実際には相手のほうが体重を預けていることがあります。